退職してからやっと言葉になった私が仕事を辞めた理由

hanaica

どうもhanaicaです。昨日、最後の勤務が終わりました。退職の挨拶を方々に向けて書いていたら、意外にも自分の本心と向き合う事が出来たので備忘録的な感じで記しておきます。

いつもと同じ1日を過ごすつもりでいた。しかしそうもいかなかった。

 朝。いつもは、間に合うのにちょうど良いくらいの時間に目が覚めるように目覚ましをかける。
でも今日は1時間ばかり早めに目覚ましをセットした。

 最後の最後で寝坊したら最高に格好悪いからだ。

前日はドキドキしてなかなか寝付けなかったが、途中で考えるエネルギーが無くなって寝落ちした。子供の頃からそう。重大なイベントの前は寝付けず、重大なイベントは睡眠不足気味に迎える事が多い。遠足とか旅行とか。

意外にも、ちゃんと目を覚ます事が出来た。だが、結局いつもよりしっかりした朝食を食べ、子どもを眺めて和んでいる内に、家を出なきゃいけない時間になった。

結局職場に付いたのはいつもより10分早いかどうかだった。

勤務が始まった。始まったら始まったで、今日で最後だなぁなんて思う暇もあまりなかった。いや、暇っちゃ暇だったのだが、なるべく考えないようにしていた。

仕事はルーティンワークの感じで、どこか自動運転モード。自動車を何となく運転している時の感覚に近い。多分頭の中では、自分の今までの感情がせめぎ合っていたのだろう。
だが中途半端に忙しかったおかげで、あまりそれと面と向かって対面する時間が結局無かった。

休憩を取った。せっかくなのでいつもよりちょっといいご飯を食べた。

美味しかった。いつも、栄養補給の感じでご飯をチャージしていたのだが、もう色んな事がどうでも良くなって、ゆっくりと食べた。やっぱり美味しかった。
食事は、味わって食べるものだ。
私は、どこかに置いてきた人間性が少しだけ帰って来た気がした。

休憩から戻った。暇でこそあったが、仕事はある。私は全力かつ前倒しでタスクを片付けにかかった。もうやり残せないからだ。

だが次第に勤務の終わりが近づいてきた。まだなんの感情も湧いてこない。というか実感がなかった。本当に終わるのだな、と頭ではわかっていても、何となくまた同じ未来が来るような感覚でいたのだ。そんなもの本当に金輪際来ないのに。

あぁ、勤務が終わってしまう。なぜこのような心境になったのだろう。

いよいよ、勤務の終わりが近づいてきた。だがここに来て、猛烈に忙しくなった。

嬉しいような悲しいような。スパッとキレイに引き継いで、挨拶をして帰るつもりでいたのだ。

だが、19時55分。時計を何回見ても、あと5分しかない。

私は急に泣きそうになってしまった。何を泣く事があるのだろう。お前が決めて、お前が望んで、お前が進めた事だ。そこにあるのはお前の意志じゃなかったのか。

そう、それはそう。私が決めた事。だがそこには、仕事をやりきって辞めた訳じゃないという確信があった。
 労働に疲れ、時間はどこかへ行き、自分がわからなくなり、それでも辞めるに辞めれなくって、それでももがいて、自分を薄っぺらく引き伸ばして色んな事に無頓着に生きて来た結果がこの様だ。

 私はこれから何者かになれるのだろうか、という問いと、私はこの場において何者であったのか、という問いと、自分の一部分を強制的に引きはがしてここに置いていかなきゃいけない、という現実がいよいよ浮彫りになってくる。なんだかんだ10年以上一緒にいた私だったのだ。

 職場にいる時の自分。それは私の自信でもあり、欠落でもあり、愛すべきアイデンティティの一部であったのだ。そしてそれはもう同じ環境において再現する事が事実上出来なくなってしまった。

 こんなところまで来てこのような所感を抱くのであれば、最初から辞めるべきではない。だが、私は違う環境で再現する事を選んだ。

つまるところ、私の存在意義として、「自分と家族が生きてればOK」なのだ。
何も、12時間以上働いた後に誰かに指示されてあれこれやる必要はない。
結局、ここ1年の猛烈な忙しさにより日々の仕事が作業と化していたのだ。これは会社が悪い訳ではない。社会に吹く風のせいだ。もちろん、同じ状況下でもやれる人はやれる。私は勝手に自分自身でハードルを決めて、その低いハードルを越えて頑張っていると唱えていただけだったのだと思う。
沢山働く事は、いい面も悪い面もある。
私の場合は、そんなに良い風が吹かなかったというだけであって。働きすぎて頭はどうかしそうだったと言うか既にしていたと思うが、

それでもお金が貰える=自分も家族も生きられる。

だが、ここ1年は私は作業をしていたに過ぎない。過ぎ去る日々を堪えていただけだった。私は自分でも言うのもなんだが主体的に現状を変える知識や能力は元気な時はあったはずだ。にも関わらず出来なかったという事は能力か体力か、何にせよ何かが欠けていたのだろう。結局やらされ仕事になっていた。ここにはかなりの葛藤があった。家庭環境を言い訳にした自分はズルいと思うけど、仕事に打ち込み過ぎては家庭環境は崩壊する。どっちも大事だったのだ。そしてどっちも大事にする道は同じ状況下でもどこかにあったはずだ。今の会社でもやろうと思えば出来なくはなかったのだろう。

だがそこまでの胆力と能力が今の私には無かった。仕事に対する自信を喪失し、やる事なす事なさない事全てに白羽の矢が立つ。そんな会社を私は自分の力で変える、というのは無理だと率直に思った。それは相手を変えようとする行為だからだ。相手は、自身が望んだところで伝わるものでも変わるものでもない。自分自身の捉え方や感じ方を変えていくしか方法はないのだと思う。

 それがわかっていて、会社と私自身の価値観に折り合いがつかず、辞める道を選んだんだろ?じゃあもういいじゃないか。

多様性の保護による一貫性の欠如

私は、色んな私であろうとしたが故、何も身にならなかった。器用貧乏極まる性分だと思う。これだけはきっと子供の頃から一貫して変わっておらず、すぐに興味の対象が移り変わる。対象が移り変わって初期の頃は、トチ狂ったようにそれしかやらない。RPGも、3周全クリアしないと出せない必殺技みたいなのを出す為だけに周回した。多分、反復作業する事への抵抗の無さと短期的な集中力みたいなものがあったのだと思う。

釣りもしたし、虫も捕まえたし、ブレイクダンスしてみたり、読書したり、ギターも弾いたし、剣道もした。プログラミングも勉強したし、花植えてみたりとかイベント実行委員みたいなこともしょっちゅうやっていた。ダーツもボーリングもやった。

でも全部ヘタクソだった。ゲームはいい。あんまりセンスが必要無いから。でも芸術的な分野に関してはとことん駄目だった。ギターは不器用過ぎて全然弾けなかった。唄は好きだよ。

剣道は初段から上がる事はもうない。虫はもう苦手だ。釣りもエサが苦手になってしまった。プログラミングはprintf君しか覚えていない。ダーツは、ホントに一度だけだがスリーインザブラックを出してお腹いっぱいになってしまった。でも、誰かを巻き込むのは好きだったはずだ。もう冷めた大人になってしまった…のだろうか?

私は誤解を恐れずに言えば火が好きだ。ちょっと危ない人みたいになってしまうので釈明すると、昔学生の時に火のついたトーチを回してチームで炎舞した事がある。トーチトワリングというやつだ。これは本当に心の底から楽しかった。要するに思い出補正である。だが、本当にそれだけかと言われるとそれだけでもない気がする。
 その時期は何をしても上手くいった。自分で言うのも何だが、某チャレンジの漫画みたいな時期だった。勉強も恋愛も趣味もオールオッケー!みたいな。
あの頃の自分に、今後の私の人生の鍵が残っていると思う。自信もあったし、事実成績も全部中の上みたいな感じだった。恋愛の事は忘れて欲しい。

私個人に、一貫性は無い。その時興味を持ったことを、興味が向く方にやってきただけだ。だから夢中なものがあって、それが好きだと胸を張って言えるという事は簡単なようで私にとっては意外と難しいし羨ましいのだ。

結局、一人でちょっと泣いた。

 人に見られると恥ずかしいので、勤務が終わると同時に私は車に行った。一人で泣いた。というか終わる頃には、自然に涙が出ていた。一人の自分との決別。泣いたら少しスッキリした。

 自分を切り離すのは、思ったより精神を削がれる。でも決めていた事だ。時間が来ただけ。

退職の挨拶をした

 方々に向けて、今までお世話になったと、メールや文章ではあるが挨拶をした。お世話になった上長の方々に個別に挨拶をし、文字に起こす。
そこでやっと自分の気持ちがわかったのだが、私は時間との闘いに疲れ切ってしまっただけだった。もう、働き始めた当初の野心的な自分がどこかへ行ってしまい、自信も無くなり、時間も無くなり、無気力になり、自分が、個が離散し始めていた。父は強くあらねばと思うも、強いフリをするのに疲れてしまった。

家族がいても孤独に頑張らねばならん時が漢にはあるってことよ。しっかりしてね、私含む全国のお父さん。

 

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